2008.08.15
仙台白石再び。
去年の冬に続き、再び仙台白石の旅に行ってまいりました!
この前行けなかった場所にも行けたし食べれなかったものも食べれたしお土産いっぱい買っちゃったし
夜はやっぱりカオスだったし(笑)、物凄く楽しい二日間でしたvvv
詳しいレポはそのうち書いてみようと思います。ちょっと先になるかもしれませんが……
それにしても、今回の旅で一番印象に残った事と言えばやはり、第16代片倉小十郎を継がれた(!)
宮司さんとお会いできた事です!!
片倉小十郎の直系の御子孫様ですよーーーーーーーーー!!!
お友達から仙台に小十郎の御子孫がいらっしゃると言うことは聞いていたのですが、『縁がなければ
会えない』と言うことだったので、小十郎の御子孫と私達の間に僅かながらでも『縁』があった事を
本当に嬉しく思います。
……実は、偶然だとは思いますが、小十郎の御子孫にお会いする直前に 政宗公に、
「どうか小十郎に会わせて下さい」ってお参りしたんですよね(笑)。
もしかしたら政宗公が願いを叶えてくれたのかなあとか、ちょっぴりウヌボレテみたりします(*●^*)
御子孫は2代目小十郎である重綱の名前を受け継いでいらっしゃっていて、その事についての不思議な話を
伺えたり、数年前に政宗公にお会いした(!!)なんて話を伺えたり、前世の功徳と業について教えて頂いたり、
最近は本当にここを訪れる女の子が増えているので驚いていると言う話を伺ったり(笑)、
(「戦国BASARAの事も少しだけご存知のようでした(笑))いやもう本当にこれだけで、今回仙台に
来たかいがあったと言うものです……。

画像は16代片倉小十郎と握手して頂いた私達の手です(笑)。
気のせいかもしれませんが、握手して頂いた瞬間、体がすごく軽くなりました。
そして、小十郎の御子孫様のお話を伺ってから、ますますますます伊達主従が好きになりました。
半端な絆じゃないですこの主従は!本当に、御子孫様のお話を聞いて涙出そうになりました。
特に小十郎が政宗を想う気持ち……
小十郎はきっと、他の誰よりも政宗の事を愛していたんだと思います。
それは主従愛とか兄弟愛などと一語で表せるような簡単なものではなく、もちろん男女間の恋愛感情のような生々しいものでもなく。
仲間より友より妻より子供より、そして自分自身より。ひょっとしたら「伊達家」より。
誰よりも、何よりも、政宗の事を愛していたんでしょうね。
……政宗公の方は小十郎よりか移り気な所があるお方のような気もしますが……(笑)。
この二人はきっと、いつまでもずっと一緒なんだなあと。
根拠も何も無いのですが、そう思いました……。
この前行けなかった場所にも行けたし食べれなかったものも食べれたしお土産いっぱい買っちゃったし
夜はやっぱりカオスだったし(笑)、物凄く楽しい二日間でしたvvv
詳しいレポはそのうち書いてみようと思います。ちょっと先になるかもしれませんが……
それにしても、今回の旅で一番印象に残った事と言えばやはり、第16代片倉小十郎を継がれた(!)
宮司さんとお会いできた事です!!
片倉小十郎の直系の御子孫様ですよーーーーーーーーー!!!
お友達から仙台に小十郎の御子孫がいらっしゃると言うことは聞いていたのですが、『縁がなければ
会えない』と言うことだったので、小十郎の御子孫と私達の間に僅かながらでも『縁』があった事を
本当に嬉しく思います。
……実は、偶然だとは思いますが、小十郎の御子孫にお会いする直前に 政宗公に、
「どうか小十郎に会わせて下さい」ってお参りしたんですよね(笑)。
もしかしたら政宗公が願いを叶えてくれたのかなあとか、ちょっぴりウヌボレテみたりします(*●^*)
御子孫は2代目小十郎である重綱の名前を受け継いでいらっしゃっていて、その事についての不思議な話を
伺えたり、数年前に政宗公にお会いした(!!)なんて話を伺えたり、前世の功徳と業について教えて頂いたり、
最近は本当にここを訪れる女の子が増えているので驚いていると言う話を伺ったり(笑)、
(「戦国BASARAの事も少しだけご存知のようでした(笑))いやもう本当にこれだけで、今回仙台に
来たかいがあったと言うものです……。

画像は16代片倉小十郎と握手して頂いた私達の手です(笑)。
気のせいかもしれませんが、握手して頂いた瞬間、体がすごく軽くなりました。
そして、小十郎の御子孫様のお話を伺ってから、ますますますます伊達主従が好きになりました。
半端な絆じゃないですこの主従は!本当に、御子孫様のお話を聞いて涙出そうになりました。
特に小十郎が政宗を想う気持ち……
小十郎はきっと、他の誰よりも政宗の事を愛していたんだと思います。
それは主従愛とか兄弟愛などと一語で表せるような簡単なものではなく、もちろん男女間の恋愛感情のような生々しいものでもなく。
仲間より友より妻より子供より、そして自分自身より。ひょっとしたら「伊達家」より。
誰よりも、何よりも、政宗の事を愛していたんでしょうね。
……政宗公の方は小十郎よりか移り気な所があるお方のような気もしますが……(笑)。
この二人はきっと、いつまでもずっと一緒なんだなあと。
根拠も何も無いのですが、そう思いました……。
2008.06.06
最期の詩・番外編
戦国武将以外の気になった辞世の句を好き勝手に訳してみました(笑)。
石川五右衛門・享年36歳
「石川や 浜の真砂は尽くるとも 世に盗人のたねは尽きまじ」
かなりアバウトながんばれゴエモン的意訳
『てやんでい!オイラがここで死のうともなぁ、砂浜の砂が尽きないみてぇに
この世の中から泥棒は消えさりゃしねぇんだよ、べらぼうめい!!』
ちなみにゲームの「がんばれゴエモン」の舞台は江戸で、ゴエモンもちゃきちゃきの江戸っ子ですが、
史実の五右衛門は安土桃山時代の人だったりします(笑)。
大胆にも豊臣秀吉の城に忍び込み、秀吉に向かって啖呵を切ったのは有名な話ですよね。
松尾芭蕉・享年51歳
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」
かなりアバウトなギャグマンガ日和的意訳(笑)
芭蕉「旅の途中だと言うのに病気になってしまった……
ああ、まだまだ行きたい所だってやりたい事だっていっぱいあるって言うのに……。
……こうなったら夢の中で旅をするしかないな。よし、寝よう!おやすみ!」
曽良「芭蕉さん、薬持って来ましたけど……寝てるんですか?」
芭蕉「(あ、曽良君が来た。本当は起きてるんだけど、寝たふりしちゃえ!)」
曽良「寝てるみたいだな……。
それにしても、まさか芭蕉さんが病気になるなんて……」
芭蕉「(ええっ!?曽良君が私の心配をっ!?嘘っ!?マジ!?)」
曽良「こんな事なら、もっと蹴ったり殴ったりしておけばよかった」
芭蕉「(NOぉおーーーーーっ!?)」
曽良「我慢せずに、刃物や得物も使えばよかった」
芭蕉「(ウギャアアアーーー!!!何この弟子!!何師匠に向かって
恐ろしい行動をしようと目論んでたのこの弟子!!)」
曽良「弱っている獲物をいたぶっても面白くないし……」
芭蕉「(獲物ーーーーーーーーーー!?!?)」
曽良「こんなに弱っているなら、いっそ、僕のこの手でひと思いに」
芭蕉「ひ、ひと思いNOおおおおおおっ!!!
私はまだ生きてるから!元気だから!!ほら、スクワットだって腕立て伏せだって
余裕でできちゃうぐふぉっ!!!(吐血)」
曽良「なんだ芭蕉さん、起きてたんですか。寝てなくちゃダメですよ」
芭蕉「そ……曽良君……。
……わ、私はほら……こんなに、元、気……」
曽良「体中の穴から血が噴き出していますよ芭蕉さん」
芭蕉「あ、これね……。うん、これは血じゃなくて、松尾汁……
そう、松尾汁なんだ!
元気一杯の松尾芭蕉から噴出する謎の汁なんだよごふぉあっ!(吐血)」
曽良「嫌な汁ですね」
芭蕉「そ、そうかな……こう見えてなかなか役に立つ汁なんだよ。
煮て良し焼いて良し、紫外線カットだってできちゃう……
……だ、だからね曽良君、私はこんなに元気だから、ひと思いは……」
曽良「一体何を言っているんですか、芭蕉さん?
ほら、薬を持ってきたから、これを飲んで寝てて下さい」
芭蕉「あ、うん……。その薬、本当に薬だよね……」
曽良「早く病気を治して下さい。そしてまた旅に出ましょう。
芭蕉さんの旅は、まだまだ続くんでしょう?」
芭蕉「…………!!そ、曽良君……!!!!
私の回復を願ってくれるのかい……?」
曽良「当たり前じゃないですか。早く元気になって下さい」
芭蕉「そ、曽良君……!!!!
……はは、おかしいな……。哀しくないのに涙が出るなんてっ……!
ようし曽良君、私は頑張るよ!早く元気になってみせる!
そうしたらまた二人で、色々な所を旅しようね!」
曽良「……弱っている獲物は、面白くないんですよ。(ぼそ)」
芭蕉「……え?今、何か言った……?」
どこが「意訳」だ!と言うツッコミは置いておいて、原作の足元にも及ばないやりとりですみません(汗)。
芭蕉&曽良君のコンビ、大好きです(笑)。
さて、真面目な意訳なのですが、上のコントの一番最初で芭蕉が言っている通りです。
旅の途中で病にかかってしまった。体は動かないが、私の心はまだ見ぬ枯野を駆け巡っている……と言う、
旅の続きへの想いを詠った句ですね。松尾芭蕉はこれを辞世の句とするつもりは無かったようなのですが、
彼はこの句を最期にこの世を去ることになってしまいます。弟子の曽良君は芭蕉の死後江戸に戻り、
62歳でこの世を去りました。
ギャグマンガ日和の影響で芭蕉と曽良君は結構歳が離れているというイメージがあったのですが、
実際は5歳しか離れていなかったんですよね〜。
石川五右衛門・享年36歳
「石川や 浜の真砂は尽くるとも 世に盗人のたねは尽きまじ」
かなりアバウトながんばれゴエモン的意訳
『てやんでい!オイラがここで死のうともなぁ、砂浜の砂が尽きないみてぇに
この世の中から泥棒は消えさりゃしねぇんだよ、べらぼうめい!!』
ちなみにゲームの「がんばれゴエモン」の舞台は江戸で、ゴエモンもちゃきちゃきの江戸っ子ですが、
史実の五右衛門は安土桃山時代の人だったりします(笑)。
大胆にも豊臣秀吉の城に忍び込み、秀吉に向かって啖呵を切ったのは有名な話ですよね。
松尾芭蕉・享年51歳
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」
かなりアバウトなギャグマンガ日和的意訳(笑)
芭蕉「旅の途中だと言うのに病気になってしまった……
ああ、まだまだ行きたい所だってやりたい事だっていっぱいあるって言うのに……。
……こうなったら夢の中で旅をするしかないな。よし、寝よう!おやすみ!」
曽良「芭蕉さん、薬持って来ましたけど……寝てるんですか?」
芭蕉「(あ、曽良君が来た。本当は起きてるんだけど、寝たふりしちゃえ!)」
曽良「寝てるみたいだな……。
それにしても、まさか芭蕉さんが病気になるなんて……」
芭蕉「(ええっ!?曽良君が私の心配をっ!?嘘っ!?マジ!?)」
曽良「こんな事なら、もっと蹴ったり殴ったりしておけばよかった」
芭蕉「(NOぉおーーーーーっ!?)」
曽良「我慢せずに、刃物や得物も使えばよかった」
芭蕉「(ウギャアアアーーー!!!何この弟子!!何師匠に向かって
恐ろしい行動をしようと目論んでたのこの弟子!!)」
曽良「弱っている獲物をいたぶっても面白くないし……」
芭蕉「(獲物ーーーーーーーーーー!?!?)」
曽良「こんなに弱っているなら、いっそ、僕のこの手でひと思いに」
芭蕉「ひ、ひと思いNOおおおおおおっ!!!
私はまだ生きてるから!元気だから!!ほら、スクワットだって腕立て伏せだって
余裕でできちゃうぐふぉっ!!!(吐血)」
曽良「なんだ芭蕉さん、起きてたんですか。寝てなくちゃダメですよ」
芭蕉「そ……曽良君……。
……わ、私はほら……こんなに、元、気……」
曽良「体中の穴から血が噴き出していますよ芭蕉さん」
芭蕉「あ、これね……。うん、これは血じゃなくて、松尾汁……
そう、松尾汁なんだ!
元気一杯の松尾芭蕉から噴出する謎の汁なんだよごふぉあっ!(吐血)」
曽良「嫌な汁ですね」
芭蕉「そ、そうかな……こう見えてなかなか役に立つ汁なんだよ。
煮て良し焼いて良し、紫外線カットだってできちゃう……
……だ、だからね曽良君、私はこんなに元気だから、ひと思いは……」
曽良「一体何を言っているんですか、芭蕉さん?
ほら、薬を持ってきたから、これを飲んで寝てて下さい」
芭蕉「あ、うん……。その薬、本当に薬だよね……」
曽良「早く病気を治して下さい。そしてまた旅に出ましょう。
芭蕉さんの旅は、まだまだ続くんでしょう?」
芭蕉「…………!!そ、曽良君……!!!!
私の回復を願ってくれるのかい……?」
曽良「当たり前じゃないですか。早く元気になって下さい」
芭蕉「そ、曽良君……!!!!
……はは、おかしいな……。哀しくないのに涙が出るなんてっ……!
ようし曽良君、私は頑張るよ!早く元気になってみせる!
そうしたらまた二人で、色々な所を旅しようね!」
曽良「……弱っている獲物は、面白くないんですよ。(ぼそ)」
芭蕉「……え?今、何か言った……?」
どこが「意訳」だ!と言うツッコミは置いておいて、原作の足元にも及ばないやりとりですみません(汗)。
芭蕉&曽良君のコンビ、大好きです(笑)。
さて、真面目な意訳なのですが、上のコントの一番最初で芭蕉が言っている通りです。
旅の途中で病にかかってしまった。体は動かないが、私の心はまだ見ぬ枯野を駆け巡っている……と言う、
旅の続きへの想いを詠った句ですね。松尾芭蕉はこれを辞世の句とするつもりは無かったようなのですが、
彼はこの句を最期にこの世を去ることになってしまいます。弟子の曽良君は芭蕉の死後江戸に戻り、
62歳でこの世を去りました。
ギャグマンガ日和の影響で芭蕉と曽良君は結構歳が離れているというイメージがあったのですが、
実際は5歳しか離れていなかったんですよね〜。
2008.06.05
最期の詩・その2
戦国武将の辞世の句を、BASARA的に訳してみました!
伊達政宗・享年69歳
「雲りなき 心の月を先立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『先の見えない闇夜のようなこの世で、己の心の月だけを灯火にして
歩いてきた人生だったぜ。You See?』
……なんでも「You See?」つければいいってもんじゃないですよね(笑)。
無念の思いや寂寞感を詠うのではなく、達観した心で自然の美を詠うのでもなく、 「オレの人生は
オレ自身の手で切り開いてきたんだぜ(●∀゜)/」と詠った政宗公。
最期までビバオレ様と言いますか……Coolな人ですよね(笑)。
それにしても、その生涯において政宗公は決して孤独ではなかったと思うのですが、 やはり
最終的に頼れるのは自分の才覚だけだったのでしょうね……。
小十郎を始めとする家臣達や家族達は、政宗公の補佐はできるかもしれませんが、その責任を
肩代わりしてあげる事はできなかったでしょうし……。
これが、専制君主の「聖なる義務」と言うものなんですね。
北条氏政・享年52歳
「吹くとふく 風な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『吹き止まぬ風を恨むでないぞ、春の花たちよ。
春の花が散るからこそ、紅葉の美しい秋が来るのぢゃからな……』
史実の北条氏政は、小田原城落城後に切腹を命じられています。せっかく咲いた春の花を散らしてしまう
風を恨まない。花が散るからこそ次の季節が来るのだから……と言う自然の摂理を詠ったこの句も、
歴史の背景を思うと感慨深いものがありますよね。
そして「北条氏政の辞世の句」と言われている句がもう一つあります。
「雨雲の おほへる月も胸の霧も はらたにけりな秋の夕風」
と言うのがその句でして、どちらが本当の辞世の句なんだかわかりません(汗)。
切腹前に複数の句を詠んだと言うことなのでしょうか……?
ちなみに上句もBASARA的に訳してみました!
『こうして秋の夕風がはらってくれるんぢゃよ。
月を覆う雨雲も、我が心の霧も、すべて……』
……どちらの句も、全てを達観した氏政公の心が現れているようで、ほんのりと切なくなってしまいます……。
上杉謙信・享年48歳
「極楽も 地獄もともに有明の 月ぞこころにかかる月かな」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『ごくらくもじごくも、わたくしにとってはどちらもおなじようなもの。
たとえていえば、あのありあけのつきのようなものです。
いまのわたくしのこころはあのつきのようにすみわたっています。
くいは、ありません……』
上杉謙信公の死は突然のものであり、上記の句も死を目前にして作られたものではありません。
急逝の直前に作られた和歌が「辞世の句」として伝わっているそうです。
謙信公のように、「悔いは無い」と言い切れるような人生を送りたいものですよね。
武田信玄・享年52歳
「大ていは 地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『大抵の事は自然のままに任せておくのが一番良い。
わざわざ紅や白粉を塗る必要も無い。ありのままの我が身こそが最も風流なのじゃ』
……………(●×`;)
この句の意訳は今回最も自信が無いものだったりします(汗)。ご指摘などありましたら、ぜひぜひ
お願い致します(汗)(汗)。
そう言えば、句を調べている最中に信玄公の面白逸話を発見しました。ちょっと下ネタ的なのですが……
信玄公は、トイレの事を「山」と呼んでいたそうです。ある時家臣の一人が「どうして『山』と呼ぶのですか」と
尋ねたところ、公はこう答えました。
「山も厠も、草木(臭き)が絶えぬであろう?」
信玄公、座布団一枚!って感じです(笑)。
BASARA幸村が聞いたら号泣しながら座布団の山を持ってきそうですよね(笑)。
毛利元就・享年75歳
「友を得て 猶ぞうれしき桜花 昨日にかはる けふの色香は」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『桜の花を見ると心が踊る。親しい友を得、彼と共に見れるならば尚更のこと。
今日の花の色香は、昨日よりも尚、格別ぞ』
ちなみに元就公のこの句も「辞世の句」として詠まれたものではなく、死の直前の花見の席で
詠まれたものだそうです。
「友を得て嬉しき」なんて、BASARA元就の性格を思うと何だからしくない和歌ですが、紆余曲折あった末に
ようやく頑なな心がほぐれ、友と呼べる存在を得る事ができた……と考えると萌えてきませんでしょうか?
元就ファンの皆様(笑)!
満開の桜の下で花見をする元就の隣に座って酒を飲んでいるのは、昔彼に向かって
「独りぼっちじゃねえか」と言った西海の鬼だったら……何だか素敵ですよね。(●v^)
(注・歴史上で元就公と元親公は全く面識がありません。生きている時代がそもそも違います(笑))
そして、そんな西海の鬼こと長曾我部元親の辞世の句なのですが、見つけられませんでした(汗)(汗)。
史実の元親公の晩年は、長男の死が原因でマトモな状態では無かったみたいですし……
優雅に和歌を詠める状態では無かったのかもしれませんね(汗)。
ちなみに元親公の享年は、61歳でした。
真田幸村の辞世の句も無いんですよね……。
幸村公は敗戦での討死ですから、句を読む暇はなかったのだと思いますが……。
伊達政宗・享年69歳
「雲りなき 心の月を先立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『先の見えない闇夜のようなこの世で、己の心の月だけを灯火にして
歩いてきた人生だったぜ。You See?』
……なんでも「You See?」つければいいってもんじゃないですよね(笑)。
無念の思いや寂寞感を詠うのではなく、達観した心で自然の美を詠うのでもなく、 「オレの人生は
オレ自身の手で切り開いてきたんだぜ(●∀゜)/」と詠った政宗公。
最期までビバオレ様と言いますか……Coolな人ですよね(笑)。
それにしても、その生涯において政宗公は決して孤独ではなかったと思うのですが、 やはり
最終的に頼れるのは自分の才覚だけだったのでしょうね……。
小十郎を始めとする家臣達や家族達は、政宗公の補佐はできるかもしれませんが、その責任を
肩代わりしてあげる事はできなかったでしょうし……。
これが、専制君主の「聖なる義務」と言うものなんですね。
北条氏政・享年52歳
「吹くとふく 風な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『吹き止まぬ風を恨むでないぞ、春の花たちよ。
春の花が散るからこそ、紅葉の美しい秋が来るのぢゃからな……』
史実の北条氏政は、小田原城落城後に切腹を命じられています。せっかく咲いた春の花を散らしてしまう
風を恨まない。花が散るからこそ次の季節が来るのだから……と言う自然の摂理を詠ったこの句も、
歴史の背景を思うと感慨深いものがありますよね。
そして「北条氏政の辞世の句」と言われている句がもう一つあります。
「雨雲の おほへる月も胸の霧も はらたにけりな秋の夕風」
と言うのがその句でして、どちらが本当の辞世の句なんだかわかりません(汗)。
切腹前に複数の句を詠んだと言うことなのでしょうか……?
ちなみに上句もBASARA的に訳してみました!
『こうして秋の夕風がはらってくれるんぢゃよ。
月を覆う雨雲も、我が心の霧も、すべて……』
……どちらの句も、全てを達観した氏政公の心が現れているようで、ほんのりと切なくなってしまいます……。
上杉謙信・享年48歳
「極楽も 地獄もともに有明の 月ぞこころにかかる月かな」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『ごくらくもじごくも、わたくしにとってはどちらもおなじようなもの。
たとえていえば、あのありあけのつきのようなものです。
いまのわたくしのこころはあのつきのようにすみわたっています。
くいは、ありません……』
上杉謙信公の死は突然のものであり、上記の句も死を目前にして作られたものではありません。
急逝の直前に作られた和歌が「辞世の句」として伝わっているそうです。
謙信公のように、「悔いは無い」と言い切れるような人生を送りたいものですよね。
武田信玄・享年52歳
「大ていは 地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『大抵の事は自然のままに任せておくのが一番良い。
わざわざ紅や白粉を塗る必要も無い。ありのままの我が身こそが最も風流なのじゃ』
……………(●×`;)
この句の意訳は今回最も自信が無いものだったりします(汗)。ご指摘などありましたら、ぜひぜひ
お願い致します(汗)(汗)。
そう言えば、句を調べている最中に信玄公の面白逸話を発見しました。ちょっと下ネタ的なのですが……
信玄公は、トイレの事を「山」と呼んでいたそうです。ある時家臣の一人が「どうして『山』と呼ぶのですか」と
尋ねたところ、公はこう答えました。
「山も厠も、草木(臭き)が絶えぬであろう?」
信玄公、座布団一枚!って感じです(笑)。
BASARA幸村が聞いたら号泣しながら座布団の山を持ってきそうですよね(笑)。
毛利元就・享年75歳
「友を得て 猶ぞうれしき桜花 昨日にかはる けふの色香は」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『桜の花を見ると心が踊る。親しい友を得、彼と共に見れるならば尚更のこと。
今日の花の色香は、昨日よりも尚、格別ぞ』
ちなみに元就公のこの句も「辞世の句」として詠まれたものではなく、死の直前の花見の席で
詠まれたものだそうです。
「友を得て嬉しき」なんて、BASARA元就の性格を思うと何だからしくない和歌ですが、紆余曲折あった末に
ようやく頑なな心がほぐれ、友と呼べる存在を得る事ができた……と考えると萌えてきませんでしょうか?
元就ファンの皆様(笑)!
満開の桜の下で花見をする元就の隣に座って酒を飲んでいるのは、昔彼に向かって
「独りぼっちじゃねえか」と言った西海の鬼だったら……何だか素敵ですよね。(●v^)
(注・歴史上で元就公と元親公は全く面識がありません。生きている時代がそもそも違います(笑))
そして、そんな西海の鬼こと長曾我部元親の辞世の句なのですが、見つけられませんでした(汗)(汗)。
史実の元親公の晩年は、長男の死が原因でマトモな状態では無かったみたいですし……
優雅に和歌を詠める状態では無かったのかもしれませんね(汗)。
ちなみに元親公の享年は、61歳でした。
真田幸村の辞世の句も無いんですよね……。
幸村公は敗戦での討死ですから、句を読む暇はなかったのだと思いますが……。
2008.06.01
最期の詩
明智光秀・享年55歳
「順逆二門に無し 大道心源に徹す
五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す 」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『物事の順序は一つしかありません。私は私の心に従ったまでです。
55年間見続けていた夢が醒めてしまった今、私は、還ってゆきます』
(●×`;)←意訳に自信が無いらしい
織田信長・享年48歳
「人生五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり
一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『人の寿命は僅か50年。所詮は夢幻のようなものぞ。
命あるもの、この世に生を受けたものは、必ず滅びる運命なのだ』
(●×`;;)←意訳に自信が無いらしい
豊臣秀吉・享年63歳
「つゆと落ち つゆと消えにし わがみかな 難波のことも 夢のまた夢」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『我が身は、草に落ち、そして消えてゆく露のようなものだ。
難波での出来事も、所詮は夢……。……だが、良い夢であった』
(●×`;;;)←俳句翻訳機が欲しいらしい
徳川家康・享年75歳
「嬉しやと 二度さめて 一眠り うき世の夢は 暁の空」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『やったぞ忠勝、望みは叶った!……と思ったらまた夢だった。
この世の夢と言うのはあの暁色の空のように、なかなか手の届かないものなんだなあ』
(●×`;;;;)←だんだん追い詰められてきたらしい
とあるサイトで戦国武将の辞世の句一覧を見つけたので、無謀ながらBASARA的意訳に挑戦してみました。
……多分あちこち間違っていると思います。ご指摘お願い致します(汗)。
それにしても戦国武将の辞世の句には、「この世(or自分の人生)はまるで夢」と詠んでいるものが
非常に多いように感じられました。激動の時代を無我夢中で駆け抜けて、最期にふと今までの事を
思い返したとき、全てが夢の中の出来事だったかのような非現実感に包まれるものなのでしょうかね。
ちなみに伊達政宗公は『オレは自分の人生を自分で切り開いていったぜ。You See?』的な
辞世の句を残しています。現実主義な政宗公らしいですよね。
そして、本多忠勝の辞世の句にものすごく感動してしまいました。
本多忠勝・享年63歳
「死にともな まだ死にともな死にともな 御恩を受けし君を思えば」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『死にたくない。まだ死にたくない。死にたくない。
貴方に受けた恩を、私はまだ返していない……』
(●Д;)
「順逆二門に無し 大道心源に徹す
五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す 」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『物事の順序は一つしかありません。私は私の心に従ったまでです。
55年間見続けていた夢が醒めてしまった今、私は、還ってゆきます』
(●×`;)←意訳に自信が無いらしい
織田信長・享年48歳
「人生五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり
一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『人の寿命は僅か50年。所詮は夢幻のようなものぞ。
命あるもの、この世に生を受けたものは、必ず滅びる運命なのだ』
(●×`;;)←意訳に自信が無いらしい
豊臣秀吉・享年63歳
「つゆと落ち つゆと消えにし わがみかな 難波のことも 夢のまた夢」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『我が身は、草に落ち、そして消えてゆく露のようなものだ。
難波での出来事も、所詮は夢……。……だが、良い夢であった』
(●×`;;;)←俳句翻訳機が欲しいらしい
徳川家康・享年75歳
「嬉しやと 二度さめて 一眠り うき世の夢は 暁の空」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『やったぞ忠勝、望みは叶った!……と思ったらまた夢だった。
この世の夢と言うのはあの暁色の空のように、なかなか手の届かないものなんだなあ』
(●×`;;;;)←だんだん追い詰められてきたらしい
とあるサイトで戦国武将の辞世の句一覧を見つけたので、無謀ながらBASARA的意訳に挑戦してみました。
……多分あちこち間違っていると思います。ご指摘お願い致します(汗)。
それにしても戦国武将の辞世の句には、「この世(or自分の人生)はまるで夢」と詠んでいるものが
非常に多いように感じられました。激動の時代を無我夢中で駆け抜けて、最期にふと今までの事を
思い返したとき、全てが夢の中の出来事だったかのような非現実感に包まれるものなのでしょうかね。
ちなみに伊達政宗公は『オレは自分の人生を自分で切り開いていったぜ。You See?』的な
辞世の句を残しています。現実主義な政宗公らしいですよね。
そして、本多忠勝の辞世の句にものすごく感動してしまいました。
本多忠勝・享年63歳
「死にともな まだ死にともな死にともな 御恩を受けし君を思えば」
かなりアバウトなBASARA的意訳
『死にたくない。まだ死にたくない。死にたくない。
貴方に受けた恩を、私はまだ返していない……』
(●Д;)
2008.05.27
おじいちゃんのおはかまいり
小田原駅の近く、おしゃれなお店が立ち並ぶ路地の一角に、北条氏政公と氏照公のお墓があります。
小田原城には何回も来ているのですが、公のお墓を訪れるのは今回が初めてで……って恥ずかしながら、
お墓の存在を知ったのも最近だったりします(汗)。
これは是非にもお参りさせて頂かなければならないと思ったのですが、Webで調べてもお墓の場所がどうも
はっきりしなかったんですよね。小田原駅の近くと言うことは間違いないようなのですが……
これは聞いた方が早いと思って、小田原城の観光案内所でお墓の場所を尋ねてみました。
以下、私と案内所のおじさんの会話です。
私「すみません、北条氏政のお墓に行きたいんですが」
おじさん「え、氏康?」
私「いえ、氏政です」
おじさん「(笑いながら)なんで氏政なの〜?」
ナンデッテナンデ!?!?!?> Σ(●Д゜;)
お、おじいちゃあああああああん!
おじさんに「なんで」とか言われてますよおおおおお(涙)!!
おじさんは「渋いねえ」と笑いながらお墓の場所を教えてくれました。……氏政公のお墓参りをするって
そんなに珍しいのでしょうか……(汗)。(ちなみに、北条氏康公のお墓は箱根にあるそうです)
氏政公のお墓は確かに駅に近い場所にあるのですが、非常にわかりにくいです(汗)。
裏道に入って路地を抜けて……と言うような所にあるので、行こうと思わなければ行けないかも知れません。
少なくとも『観光地』と言う感じの場所では無かったですね(汗)。
墓所には、氏政公と氏照公が自刃した時に座っていたという石も安置され、最近誰かが供えたのでしょうか。
お花やお線香が置かれておりました。何だか少しだけ緊張しつつ、いつも色々とご迷惑をおかけしてしまって
申し訳ありませんと、お参りしてまいりました(汗)。
そして、ここで特筆すべきはお墓の周囲に無数に取り付けられた「鈴」です。北条氏と鈴の関連がいまいち
よくわからないのですが、これなる鈴は『幸せの鈴』と呼ばれ、なんと北条氏の勢力圏内に住む人の願いを
叶えてくれるのだそうです!
そして願いが叶ったら鈴をこの場所に戻すのだそうですが、と言うことは氏政公に願いを叶えてもらった人が沢山いるのだなあと思いました……。
この鈴の事はWebで知っていたのですが、てっきり売っているものだと思っていたら無料で持ち帰ることが
できたんですよね(汗)。何だかちょっぴり気が引けたのですが、ありがたく鈴を頂いて参りました。
……願いが叶ったら必ず返しに参ります、氏政様。
…………密かに 物 凄 く 沢 山 お願いをしてしまったので、もしかしたら氏政公、怒り狂って
いらっしゃるかもしれませんが……(汗)。

小田原城には何回も来ているのですが、公のお墓を訪れるのは今回が初めてで……って恥ずかしながら、
お墓の存在を知ったのも最近だったりします(汗)。
これは是非にもお参りさせて頂かなければならないと思ったのですが、Webで調べてもお墓の場所がどうも
はっきりしなかったんですよね。小田原駅の近くと言うことは間違いないようなのですが……
これは聞いた方が早いと思って、小田原城の観光案内所でお墓の場所を尋ねてみました。
以下、私と案内所のおじさんの会話です。
私「すみません、北条氏政のお墓に行きたいんですが」
おじさん「え、氏康?」
私「いえ、氏政です」
おじさん「(笑いながら)なんで氏政なの〜?」
ナンデッテナンデ!?!?!?> Σ(●Д゜;)
お、おじいちゃあああああああん!
おじさんに「なんで」とか言われてますよおおおおお(涙)!!
おじさんは「渋いねえ」と笑いながらお墓の場所を教えてくれました。……氏政公のお墓参りをするって
そんなに珍しいのでしょうか……(汗)。(ちなみに、北条氏康公のお墓は箱根にあるそうです)
氏政公のお墓は確かに駅に近い場所にあるのですが、非常にわかりにくいです(汗)。
裏道に入って路地を抜けて……と言うような所にあるので、行こうと思わなければ行けないかも知れません。
少なくとも『観光地』と言う感じの場所では無かったですね(汗)。
墓所には、氏政公と氏照公が自刃した時に座っていたという石も安置され、最近誰かが供えたのでしょうか。
お花やお線香が置かれておりました。何だか少しだけ緊張しつつ、いつも色々とご迷惑をおかけしてしまって
申し訳ありませんと、お参りしてまいりました(汗)。
そして、ここで特筆すべきはお墓の周囲に無数に取り付けられた「鈴」です。北条氏と鈴の関連がいまいち
よくわからないのですが、これなる鈴は『幸せの鈴』と呼ばれ、なんと北条氏の勢力圏内に住む人の願いを
叶えてくれるのだそうです!
そして願いが叶ったら鈴をこの場所に戻すのだそうですが、と言うことは氏政公に願いを叶えてもらった人が沢山いるのだなあと思いました……。
この鈴の事はWebで知っていたのですが、てっきり売っているものだと思っていたら無料で持ち帰ることが
できたんですよね(汗)。何だかちょっぴり気が引けたのですが、ありがたく鈴を頂いて参りました。
……願いが叶ったら必ず返しに参ります、氏政様。
…………密かに 物 凄 く 沢 山 お願いをしてしまったので、もしかしたら氏政公、怒り狂って
いらっしゃるかもしれませんが……(汗)。

