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2008.01.30
伊達政宗の手紙・その2
史実の伊達政宗の手紙をBASARA政宗的に訳してみました。
自己流の超意訳ですので、間違った部分があっても怒らないで下さいね(汗)。
ちなみに以前書いた「伊達政宗の手紙・BASARA的意訳その1」はこちらですv
よぉ、最上のオッサン。How are you?
27日、つまり今日だ……。前に話した小手森の城、獲らせてもらったぜ?
昨日、俺達の軍は城を取り囲むように陣を布いて奴らの通路を絶った。
このまま放っておいても勝手に堕ちるとは思ったが、10日も20日も待っていられねぇ。
俺は自ら馬を駆り、八千の鉄砲隊で城を攻撃させた。その結果は……書くまでもねぇな?
城主を始め、奴の親類どもを500人以上討ち捕らえ、城内に篭もっていた奴ら全てを斬り捨てた。
……女や子供も例外じゃねぇ。正確な数はわからねぇが、その数は1000人以上だ。
新城、木こり山、かち内館、ひたち館、小手森相添の五ヶ所は俺のものになった。
他の四つの城は勝手に堕ちた……
Are you understand? 大内定綱の居城への道を遮るものはないって事だ。
まったくここまで事がうまく運ぶと、俺には仏の加護があるのかと思っちまうほどだぜ!
この分じゃあ天下獲りの戦も、退屈なものになりそうな気がするな……。
8月27日 政宗
PS
あんたの事だ、どうせ、俺の言っている事はfakeだと思ってるんだろう?
信じる信じないはあんたの勝手だが、俺は事実を言っているだけだぜ。
You See?
天正13年8月27日の事、伊達家の家督を継いだばかりの政宗に反旗を翻した大内定綱との戦いに圧勝し、
得意絶頂で書いた手紙です。手紙の受取人は最上義光。政宗の母である義姫の実兄です。
この大内定綱との最初の戦いは「小手森城の戦い」として知られていますが、この戦いで有名なのは
政宗が行った「撫で斬り」……つまり、皆殺しです。
当時は、城主が討ち取られたり降伏した時点で、城内の他の人間の命は助けられると言うのが普通でした。
しかし政宗はそれを許さず、小手森城内にいた人間全て……女も子供も関係なく皆殺しにし、
あげくの果ては家畜や犬など、およそ城内で生きているもの全てを斬り捨てたそうです。
戦う意思の無い人間や非戦闘員を皆殺しにするのですから残虐極まる行為です。
事実、政宗の母である義姫は、息子の行いに対して激しく非難を浴びせました。
しかしながら、若干18歳の若者が行ったこの行為に、周囲の武将は震え上がりました。
若すぎる隻眼の頭領を馬鹿にしていた者たちに政宗の実力と恐ろしさを十二分に見せつける結果となり、
この戦いが終わった後、戦わずして降伏する武将が相次いだそうです。
意訳ではものすごく偉そうな感じで喋っていますが、原文でも十分偉そうです(笑)。
最上氏と政宗は格別仲が悪かった訳ではないのですが……史実の政宗も挑戦的な性格だったんですね〜。
以下原文です。
急度脚力をもって申し届け候。
よって今日二十七日先達申し候つ小手森の要害、昨日取り廻し近陣に及び候ところに、
通路は相留め候得ども、十日、二十日は彼要害まづもって相抱へ申すべき様に見当たり申し候間、
自身乗り寄せ、相の手の鉄砲八千丁あまり相懸け、すなはちとり付き候間、落城申し候。
もっとも城主を始めとして、大備親類ども相添へ五百余人討ち捕らへ、そのほか女、童は申すにおよばず、
犬までなで切りに成させ候条、以上千百余人きらせ申し候。
これより二時ばかりが内に、一新城、一木こり山、一かち内館、一ひたち館、一小手森相添へ五ヶ所、
手裏に属し候。四ヶ所は自落申し候。
大備居館小浜より前には敵地一ヶ所もこれ無く候。拙子名理も候やと存じ候。
この上は須加河まで打ち出で、関東中も手安く候。万々後音を期し候。恐悦謹言。
追啓、定めて当世のならひにて、是をも偽りとおぼし候べく候。
世上より其隠れこれあるべからず候。以上。
お次はおねだり政宗様です(笑)。
Dear 政景
元気か?俺はこの間城に戻ってからのんびり過ごしている。
南の方でごちゃごちゃやっている野郎共も、今は大人しくしているようだぜ。
まったく、こうも退屈だと鷹狩にでも行きたくなってくる……っつーか、実は昨日行ってきたんだが、
雁を四羽も仕留めることができたぜ!こんなに獲物が獲れるなんて近年なかったことだ。
……で、まあ、ちょっとばかり聞きたい事があるんだけどよ。
檜原の陣地でお前が自慢していた大鷹がいたよな?
あの鷹を、その、なんだ、Well、…………この秋だけ、貸してくれねぇか?
鳥屋に入っていても、羽が完全に生え揃っていなくてもno problem.だ。
わざわざこの俺が使者を使わしてまで頼んでいる。
お願いだから貸してくれ。Please、Please、Please!!!
……俺がここまで言ってるんだ、まさかNoとは言わねぇよな!?
いい返事を待っているぜ。
PS
ちなみに、大崎や葛西の奴らの動きに変わりはねぇか?
何か変わった事があったらすぐに報告しろよ。
8月22日 政宗
政宗の叔父(政宗のお父さんの弟です)である留守政景に宛てた手紙で、要約すれば
お前が持っている立派な鷹を貸しやがれと言う内容の手紙です(笑)。
意訳で「Please」と言っているところは原文では「あはれ」と繰り返しています。これは
「私を哀れに思って下さい。どうか、どうか、どうか、この通り!!」と言う意味らしいですね。
そこまでして鷹を貸して欲しかったんですね〜(笑)。政宗様可愛いなあ(笑)(笑)!
この後鷹がどうなったかは資料が無いのですが、主君にここまで言われては後には引けないと思うので
政景は政宗にレンタルイーグルしたのだと思います。
きちんと返してもらったかどうかは…………不明です(笑)。
以下原文。
帰城以来無音、心元なく存ずるばかりに候。
近日に至り、南口なほ以て静謐に候。御心安かるべく候。
然れば、この口へはやはや雁沢山に参り候。昨日はじめて野に罷り出て、雁四つ合はせ申し候。
当年の様に多く候こと、近年これなく候。これについて、申す事候。
檜原陣にて御物語候つ、二郎にほごされ申し候ける大鷹、さりとては当秋ばかり借り申したく候。
同じくこの義に任せられ候はは、祝着たるべく候。
鳥屋に入り申し候とも、羽など調はず候とも、わざと彼人指し越し申し候間、あはれ、あはれ、あはれ、
恐悦謹言。
追啓、葛西、大崎口珍しき事も候や。承りたく候。
また、この口用所も候はは、承るべく候。
お次は、気配り政宗様です!
Dear 左馬助
Hey、What has happened?
もう正月も半ばだって言うのに、この時期になっても街中に鱈が出回ってねぇっていうのはどういう事だ!?
聞けば、伊達や相馬の辺りでは出回っているそうじゃねぇか。
ひょっとして、漁師の連中の間に何か困った事があったんじゃねぇか?
何があったのかわからねぇが、とりあえず売り惜しみをせず、安心してBusinessをするように伝えてくれ。
浜の近くにいるヤツらにこの事を伝えて、漁師達を説得してみて欲しい。奉行達からも言ってやってくれ。
くれぐれも、よろしく頼むぜ。
13日 政宗
この手紙が書かれたのは慶長10年代……政宗が仙台に移ってきて間もない頃の手紙です。
一体何が起きたのかは謎なのですが(笑)、本当ならば年末に食べるはずの鱈が、今年に限っては
正月を過ぎても城下に出回ってこなかったそうです。
城下の住民達が困り果てていると聞いた政宗が、鱈不足の原因を調べるように指示した手紙ですね。
手紙自体は何の変哲も無いものですが、面白いのは、62万石の大殿様ともあろう人が
ここまで下々の人々の暮らしに気を配っていたという事実です。今の日本で例えるならば、
大都市の市長自らが直々に住民の間の問題解決に乗り出してきてくれたという感じでしょうか……。
うーん、もっと規模を小さくして例えるなら、大企業の社長自らが一般社員の間での問題解決に
乗り出してきた、のような感じでしょうか(笑)。
支社の社員達が何やら困っているようだから、現場の責任者は直ちに改善策を用意するように。
また、本社の役員にもこの事を知らせ、支社への通達を行うように……って感じでしょうか?
ここまで気配り・目配りが行き届いているとちょっとだけうっとおしいような気もしますが(笑)、
政宗のこの姿勢は、全ての為政者や経営者が見習うべきものですよね。
以下原文です!
当年は、今に町中に鱈出ず候由、申し候。伊達・相馬辺りには、これ有るのに候。
左様に候へば、浜中の者ども何かと機遣ひも候て、売り物にいださず候や。
初の十、十五の間こそにて候。
はや心安く市中へも出し候て商い仕り候やう、念に入れ申し付けべく候。かしく。
惣別、島・浜の者ども、さやうの義に機遣ひ仕らざるやうに、能々申し付けべく由、浜に代官もち候者どもへ、
皆々へ懇ろに申し付けべく候。
奉行衆へ申し候て、書付にても回し候てしかるべく候。
今の分に候ては、外実ともに、返々も然るべからず候。かしく。
伊達政宗の手紙はまだまだあります。また気が向いたらBASARA的に訳してみようと思います♪
政宗が小十郎へ宛てた手紙の資料がもっと欲しいなあ〜〜〜(笑)。
自己流の超意訳ですので、間違った部分があっても怒らないで下さいね(汗)。
ちなみに以前書いた「伊達政宗の手紙・BASARA的意訳その1」はこちらですv
よぉ、最上のオッサン。How are you?
27日、つまり今日だ……。前に話した小手森の城、獲らせてもらったぜ?
昨日、俺達の軍は城を取り囲むように陣を布いて奴らの通路を絶った。
このまま放っておいても勝手に堕ちるとは思ったが、10日も20日も待っていられねぇ。
俺は自ら馬を駆り、八千の鉄砲隊で城を攻撃させた。その結果は……書くまでもねぇな?
城主を始め、奴の親類どもを500人以上討ち捕らえ、城内に篭もっていた奴ら全てを斬り捨てた。
……女や子供も例外じゃねぇ。正確な数はわからねぇが、その数は1000人以上だ。
新城、木こり山、かち内館、ひたち館、小手森相添の五ヶ所は俺のものになった。
他の四つの城は勝手に堕ちた……
Are you understand? 大内定綱の居城への道を遮るものはないって事だ。
まったくここまで事がうまく運ぶと、俺には仏の加護があるのかと思っちまうほどだぜ!
この分じゃあ天下獲りの戦も、退屈なものになりそうな気がするな……。
8月27日 政宗
PS
あんたの事だ、どうせ、俺の言っている事はfakeだと思ってるんだろう?
信じる信じないはあんたの勝手だが、俺は事実を言っているだけだぜ。
You See?
天正13年8月27日の事、伊達家の家督を継いだばかりの政宗に反旗を翻した大内定綱との戦いに圧勝し、
得意絶頂で書いた手紙です。手紙の受取人は最上義光。政宗の母である義姫の実兄です。
この大内定綱との最初の戦いは「小手森城の戦い」として知られていますが、この戦いで有名なのは
政宗が行った「撫で斬り」……つまり、皆殺しです。
当時は、城主が討ち取られたり降伏した時点で、城内の他の人間の命は助けられると言うのが普通でした。
しかし政宗はそれを許さず、小手森城内にいた人間全て……女も子供も関係なく皆殺しにし、
あげくの果ては家畜や犬など、およそ城内で生きているもの全てを斬り捨てたそうです。
戦う意思の無い人間や非戦闘員を皆殺しにするのですから残虐極まる行為です。
事実、政宗の母である義姫は、息子の行いに対して激しく非難を浴びせました。
しかしながら、若干18歳の若者が行ったこの行為に、周囲の武将は震え上がりました。
若すぎる隻眼の頭領を馬鹿にしていた者たちに政宗の実力と恐ろしさを十二分に見せつける結果となり、
この戦いが終わった後、戦わずして降伏する武将が相次いだそうです。
意訳ではものすごく偉そうな感じで喋っていますが、原文でも十分偉そうです(笑)。
最上氏と政宗は格別仲が悪かった訳ではないのですが……史実の政宗も挑戦的な性格だったんですね〜。
以下原文です。
急度脚力をもって申し届け候。
よって今日二十七日先達申し候つ小手森の要害、昨日取り廻し近陣に及び候ところに、
通路は相留め候得ども、十日、二十日は彼要害まづもって相抱へ申すべき様に見当たり申し候間、
自身乗り寄せ、相の手の鉄砲八千丁あまり相懸け、すなはちとり付き候間、落城申し候。
もっとも城主を始めとして、大備親類ども相添へ五百余人討ち捕らへ、そのほか女、童は申すにおよばず、
犬までなで切りに成させ候条、以上千百余人きらせ申し候。
これより二時ばかりが内に、一新城、一木こり山、一かち内館、一ひたち館、一小手森相添へ五ヶ所、
手裏に属し候。四ヶ所は自落申し候。
大備居館小浜より前には敵地一ヶ所もこれ無く候。拙子名理も候やと存じ候。
この上は須加河まで打ち出で、関東中も手安く候。万々後音を期し候。恐悦謹言。
追啓、定めて当世のならひにて、是をも偽りとおぼし候べく候。
世上より其隠れこれあるべからず候。以上。
お次はおねだり政宗様です(笑)。
Dear 政景
元気か?俺はこの間城に戻ってからのんびり過ごしている。
南の方でごちゃごちゃやっている野郎共も、今は大人しくしているようだぜ。
まったく、こうも退屈だと鷹狩にでも行きたくなってくる……っつーか、実は昨日行ってきたんだが、
雁を四羽も仕留めることができたぜ!こんなに獲物が獲れるなんて近年なかったことだ。
……で、まあ、ちょっとばかり聞きたい事があるんだけどよ。
檜原の陣地でお前が自慢していた大鷹がいたよな?
あの鷹を、その、なんだ、Well、…………この秋だけ、貸してくれねぇか?
鳥屋に入っていても、羽が完全に生え揃っていなくてもno problem.だ。
わざわざこの俺が使者を使わしてまで頼んでいる。
お願いだから貸してくれ。Please、Please、Please!!!
……俺がここまで言ってるんだ、まさかNoとは言わねぇよな!?
いい返事を待っているぜ。
PS
ちなみに、大崎や葛西の奴らの動きに変わりはねぇか?
何か変わった事があったらすぐに報告しろよ。
8月22日 政宗
政宗の叔父(政宗のお父さんの弟です)である留守政景に宛てた手紙で、要約すれば
お前が持っている立派な鷹を貸しやがれと言う内容の手紙です(笑)。
意訳で「Please」と言っているところは原文では「あはれ」と繰り返しています。これは
「私を哀れに思って下さい。どうか、どうか、どうか、この通り!!」と言う意味らしいですね。
そこまでして鷹を貸して欲しかったんですね〜(笑)。政宗様可愛いなあ(笑)(笑)!
この後鷹がどうなったかは資料が無いのですが、主君にここまで言われては後には引けないと思うので
政景は政宗にレンタルイーグルしたのだと思います。
きちんと返してもらったかどうかは…………不明です(笑)。
以下原文。
帰城以来無音、心元なく存ずるばかりに候。
近日に至り、南口なほ以て静謐に候。御心安かるべく候。
然れば、この口へはやはや雁沢山に参り候。昨日はじめて野に罷り出て、雁四つ合はせ申し候。
当年の様に多く候こと、近年これなく候。これについて、申す事候。
檜原陣にて御物語候つ、二郎にほごされ申し候ける大鷹、さりとては当秋ばかり借り申したく候。
同じくこの義に任せられ候はは、祝着たるべく候。
鳥屋に入り申し候とも、羽など調はず候とも、わざと彼人指し越し申し候間、あはれ、あはれ、あはれ、
恐悦謹言。
追啓、葛西、大崎口珍しき事も候や。承りたく候。
また、この口用所も候はは、承るべく候。
お次は、気配り政宗様です!
Dear 左馬助
Hey、What has happened?
もう正月も半ばだって言うのに、この時期になっても街中に鱈が出回ってねぇっていうのはどういう事だ!?
聞けば、伊達や相馬の辺りでは出回っているそうじゃねぇか。
ひょっとして、漁師の連中の間に何か困った事があったんじゃねぇか?
何があったのかわからねぇが、とりあえず売り惜しみをせず、安心してBusinessをするように伝えてくれ。
浜の近くにいるヤツらにこの事を伝えて、漁師達を説得してみて欲しい。奉行達からも言ってやってくれ。
くれぐれも、よろしく頼むぜ。
13日 政宗
この手紙が書かれたのは慶長10年代……政宗が仙台に移ってきて間もない頃の手紙です。
一体何が起きたのかは謎なのですが(笑)、本当ならば年末に食べるはずの鱈が、今年に限っては
正月を過ぎても城下に出回ってこなかったそうです。
城下の住民達が困り果てていると聞いた政宗が、鱈不足の原因を調べるように指示した手紙ですね。
手紙自体は何の変哲も無いものですが、面白いのは、62万石の大殿様ともあろう人が
ここまで下々の人々の暮らしに気を配っていたという事実です。今の日本で例えるならば、
大都市の市長自らが直々に住民の間の問題解決に乗り出してきてくれたという感じでしょうか……。
うーん、もっと規模を小さくして例えるなら、大企業の社長自らが一般社員の間での問題解決に
乗り出してきた、のような感じでしょうか(笑)。
支社の社員達が何やら困っているようだから、現場の責任者は直ちに改善策を用意するように。
また、本社の役員にもこの事を知らせ、支社への通達を行うように……って感じでしょうか?
ここまで気配り・目配りが行き届いているとちょっとだけうっとおしいような気もしますが(笑)、
政宗のこの姿勢は、全ての為政者や経営者が見習うべきものですよね。
以下原文です!
当年は、今に町中に鱈出ず候由、申し候。伊達・相馬辺りには、これ有るのに候。
左様に候へば、浜中の者ども何かと機遣ひも候て、売り物にいださず候や。
初の十、十五の間こそにて候。
はや心安く市中へも出し候て商い仕り候やう、念に入れ申し付けべく候。かしく。
惣別、島・浜の者ども、さやうの義に機遣ひ仕らざるやうに、能々申し付けべく由、浜に代官もち候者どもへ、
皆々へ懇ろに申し付けべく候。
奉行衆へ申し候て、書付にても回し候てしかるべく候。
今の分に候ては、外実ともに、返々も然るべからず候。かしく。
伊達政宗の手紙はまだまだあります。また気が向いたらBASARA的に訳してみようと思います♪
政宗が小十郎へ宛てた手紙の資料がもっと欲しいなあ〜〜〜(笑)。
yue
うお!沢山出てきましたね!
いつも自分で現代語に直してるんですか?
昔の言葉は難しくて。
最近たつみさんから直江兼続から清野長範に宛てた手紙の原文写しをメールで頂きましたが、ちんぷんかんぷんで(笑)
でも助次郎への愛で読み解くしか!!
いつも自分で現代語に直してるんですか?
昔の言葉は難しくて。
最近たつみさんから直江兼続から清野長範に宛てた手紙の原文写しをメールで頂きましたが、ちんぷんかんぷんで(笑)
でも助次郎への愛で読み解くしか!!
2008/01/30 Wed 22:53 URL [ Edit ]
MARIO
>yueさん
まだまだ沢山あるんですよ〜(笑)。>手紙
私も古文にはちっとも詳しくないので、解説文を参考にしています。
大雑把に「この手紙にはこんな事が書かれている」と解説されているので
それを元に、後は何となくのイメージです(笑)。
それにしても、直江兼続と聞くとどうしても「俺は無敵ぃ!」と連想してしまいます(笑)。
私が兼続の手紙を訳したら、語尾に全て「俺は無敵ぃ!」がつきそうです……(^^;
まだまだ沢山あるんですよ〜(笑)。>手紙
私も古文にはちっとも詳しくないので、解説文を参考にしています。
大雑把に「この手紙にはこんな事が書かれている」と解説されているので
それを元に、後は何となくのイメージです(笑)。
それにしても、直江兼続と聞くとどうしても「俺は無敵ぃ!」と連想してしまいます(笑)。
私が兼続の手紙を訳したら、語尾に全て「俺は無敵ぃ!」がつきそうです……(^^;
2008/01/31 Thu 10:26 URL [ Edit ]
yue
そうですね〜。
BASARAやってるとあのイメージ強いですよね。
あれ普通にイメージ強いのに(笑)
俺は無敵ぃ!!!
無双2の直江も幸村で攻略していると後半物凄い忘れられないようなこと口走るので、
「まじですかー!!!」と叫びなからやった記憶が…(笑)
BASARAやってるとあのイメージ強いですよね。
あれ普通にイメージ強いのに(笑)
俺は無敵ぃ!!!
無双2の直江も幸村で攻略していると後半物凄い忘れられないようなこと口走るので、
「まじですかー!!!」と叫びなからやった記憶が…(笑)
2008/02/01 Fri 12:58 URL [ Edit ]
MARIO
>yueさん
直江兼続がああいう武将ではない事は承知していますが、
それでもつい連想してしまうくらい印象が強いです(笑)。
俺は無敵ぃ!
直江兼続がああいう武将ではない事は承知していますが、
それでもつい連想してしまうくらい印象が強いです(笑)。
俺は無敵ぃ!
2008/02/02 Sat 09:46 URL [ Edit ]
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